私の大好きな女の子が普通の女の子になる日

今日、私の大好きな女の子が「普通の女の子」になる。

大好きな女の子だった。

歌が大好きで、ダンスが上手で、0歳から22年間ずうっと芸能人だった女の子。

有安杏果さんが普通の女の子になる。

 

ももいろクローバーというグループがいるのは知っていた。

早見あかりさんが卒業して、ももいろクローバーZになったことも。紅白に出た時「青色の子が卒業してしまったから、青色の光を胸に灯しているらしい」という話も聞いたことがあった。けれど、それだけだった。「ショートカットの女の子がすきだからしおりんが好きかも。でもアイドルらしい女の子が好きだからあーりんかも」という話もした。気になってはいたのだ。それでもあまり深く知るきっかけがなくて、私は好きなロックバンドの音楽ばかりを聴いていた。妹が水木一郎が好きで、ももいろクローバーZのアルバムを借りてきて車で流していた時も、私は緑色の衣裳を着た子が「有安杏果」という名前だということすら知らなかった。

 

ある日、ももいろクローバーZが好きな友達ができた。その子から「ももかが好きだと思うよ」と言われて私は初めて彼女が「有安杏果」という名前であることを知った。そして、少しずつ彼女らが気になり始めた矢先、エコパアリーナで開催されるライブに行かないか、と誘われた。

ちょうど誘われた日にちは平日だったのだが、私の会社は休みだったので、少し悩んだが(静岡ですよ!)(夏コミ前ですよ!)行くことにした。平日だったから、私が断ったら友人はチケットを譲るあてがないかもしれない、と思ったし。

私は単純な頭をしているので「好きだと思う」と言われるとついつい緑色ばかり追ってしまっていた。その頃にはすっかり有安さんのことを「かわいいな」と思ってしまうようになっていたが、それでも「刷り込みでは」という気持ちが否めなかった。事前物販に行く友達に緑色のTシャツと、箱推しの黒色のキャップを頼んだのはそんな理由だった。思い込みかもしれないしな。刷り込みかもしれないしな。そう思っていた。私はいつだって自分の感情が、エゴ、自意識に支配されたものではないかという気持ちにとらわれていたので。ライブ中とか観劇中とか、どうしようもなく自分の意識が気になって「私は本当に悲しいと思っているのか」「私は本当に楽しいと思っているのか」そう考えてしまうことが多くあって、長年悩んでいたのだ。まあ、そんなことはどうでもいいんですけど。まあ、これが私が彼女らを好きだと思うきっかけになるので。

そうやって友人に事前物販を頼んで、ライブ前に予習しなければ!とレンタルショップでライブDVDを借りてくることにした。女祭りがとてもよかった、という話は複数人から聞いていたのでレンタルに出ていた「女祭り2011」。それから「4.10 中野サンプラザ大会 ももクロ春の一大事」だ。

もし、当時の自分に声をかけることが出来るならば「悪いことは言わないからやめなさい!」と怒鳴るところだ。実際、前述の友人からは「それ何の修行??」と言われたし他の友人からも「お、おう……」と言われた。

しかし、まあ結果、私はここで有安杏果さんに完全に落ちた。

ステージの上で苦しそうに、もう声なんて全然出ていないのに、それでも歌い続け、踊り続ける彼女。私はどうして彼女に声をかけられないのだろう、と思った。つらい、つらい。それでも彼女を見つめ続けて、いつの間にか私は泣いていた。

そして、スピンズコラボ。スピンズコラボでカジュアルな恰好をした彼女を見た瞬間「ああ、だめだ」と思った。だって自然と笑っていたのだ。理性で考えるより先に、笑みがこぼれていた。自意識なんて関係なく、私は笑うことができるんだな、と思えた。びっくりした。二十何年間生きていて、多分初めてだと思う。自然と笑えたのは。これが、多分ももかを、ももいろクローバーZを好きだと思える一番の理由だとそう思う。

そうやって、もうほぼほぼ8割ももかに落ちかけた状態で桃神祭2015を見に行って、ライブ帰りに「ねえ、物販で緑色のキャップ買ってきていい?!!!」と友人にお願いしたという顛末は、2018年まで笑い話にされています。

 

そうやって、私を笑顔にしてくれる女の子。私が彼女を追いかけられたのは短い間だった。けれど、月曜日。彼女のブログを読んで、「やめないで」という言葉が私から湧き出てくることはなかった。さみしくて更衣室でボロボロに泣いたけれど、それでも出てくるのは「だいすき」という言葉だった。今年の春も、夏も、ハロウィンも、クリスマスも彼女の笑顔を見ることができていると信じていたから、寂しくて仕方がなかったけれども、それでもどうしてだろう、いやだ、とかそんな言葉は出てこなかった。どうしてだろう、と考えて結論にいたったのが彼女は「私の大好きな女の子」だったからだ。

彼女は勿論アイドルだ。けれども、ソロコンで横浜アリーナの花道をロングスカートで駆けてゆく彼女を私は「アイドル」とは形容できなかった。「私の大好きな女の子」だった。私の大好きな女の子が、色んなことをしたいんだって。それは「頑張って!」としか言えなかった。大好きなんだ、彼女が。ココロノセンリツ vol1.0の名古屋初日なんて、ショートカットのかわいい女の子を2時間ちょっと見つめていたら終わってしまった。あんなに呆然とした時間はなかったし、あんなに大好きという気持ちであふれた時間はなかったと思う。それに、大学を卒業した彼女のセンスやパワーが溢れていたココロノセンリツを実感したから。色んなものに触れてほしい、と思ってしまったのだ。

 

火曜日、めざましテレビで生放送に出演した彼女は「誰だこいつ、って思ってる人もいるかもしれませんが」と前置きをした。「ああ、いつだってそうだ」と私は泣いた。悲しかったんじゃない。いつも通りだなあ、とちょっと安心したんだ。売れる歌なんて書けないけど、と言った彼女。それでも、いつだって彼女の歌は私の胸に届いた。笑顔にしてくれた。涙をくれた。今日にいたるまで、彼女はいつも通りだった。いつも通りインタビューに出てもあんまり喋らなくて、いつも通りブログでファンに宿題を出す。だから、私もいつも通り過ごしてきた。いや、実はあまり過ごせてないしダイエット中なのにラーメンも牛丼も食べたけど、風呂にも入ってるしご飯も食べてるし寝てる。

いつも通りに過ごしていたら、今日がやってきた。

 

今日、私の大好きな女の子は普通の女の子になります。

幸運なことに私はそれを見送ることができる。エルレガーデンが休止した時はラストライブに行けなかったし(今でもずっと引きずっている、と数日前友人と話しました)、志村がいるフジファブリックのライブを私はみることができなかったけれど、今の私は大好きな女の子のラストライブを見に行くことができる。

明日の公演が終われば彼女は普通の女の子だし、私は箱推しだ。まるでシンデレラだなあ、とAEのお知らせを見ながら思った。鐘の代わりに、私は「ありがとう」と「お疲れ様」を叫ぶだろう。

本当にありがとう、有安杏果さん。

いつか、またあなたの表現するものが見てみたいですけれども、ひとまずは「お疲れ様!」